曇り。湿度が高めだが風が強いのでそこまで不快ではない。
今年の夏の天候はどうなるのだろうか。
思ったこと
買い出しに行く。コロナの騒動が起きてからご夫婦で買い物に来ている人をよく見かける。
本屋に入る。ここに入るのは初めてだ。小さめの店舗なのに素晴らしい品ぞろえ。嬉しい。個人的には歴史関係や戦争と戦後社会、モンテッソーリ教育の本、暮らしの手帖的なもの?が充実しているのがいいお店のしるしだと思う。
また考える
最近バレエのストリーミング動画を観た。ストリーミングとはいえ自分がお金を出してバレエを観るとは思わなかった。人は変わる。
感想? 華やかで夢のような世界を作り出していた、という感じ。あとは主役の存在感がすごい。全身からエネルギーがあふれ出ている。
それくらいかな。なんかひどい感想だけれども。教養や体験の蓄積がないから難しい。
それと観ていて人間には夢が必要なんだなと漠然と思った。
幕間の休憩時間に会場の様子が映し出されたが観客はほぼ100%女性だった。女の子、お姉さん、お母さん(?)
文化を支えている人たち。バレエの文化は女性が支えているようだ。教養や愛情・熱意など。お金もか。それらが演じる側と観る側とに分かれてある。不思議な一体感。
楽しかったけれどもとても疲れた。今の状態で新しいことにチャレンジするのは危険だと思う。
その他考えたこと・感じたこと(暗めの話)
昔、病院のデイケアに通っていたころ、デイケアのメンバーに入退院を繰り返している女性がいた。親しくなってわかったことはどうも両親の壮絶な夫婦喧嘩に巻き込まれてそうなってしまったらしいということだ。両親のプライドの補完物にされたよう。勝手な想像だけど。
かなり面倒な性格の人で避けているメンバーも多かった。私もややそうだった。というか私自身が相当具合が悪かったので他人にかまう余裕はなかった。
今彼女のことを思い出してみて、あの人なりにこちらのことを心配して気にかけてくれていたのだな、と思う。
なぜ今になってそんなことを? どうやら当時の彼女の状態に私が近づいているらしい。
当時の自分は彼女より圧倒的に調子が良かった。少なくともそう思っていた。入院することもなかったし。だけれども人としての成長の問題?はさけて通っていた。静かに目立たないように暮らしていた。そのおかげでトラブルを起こさずに生き延びられたのはいいが、その乖離のせいでそれ以上の成長の芽もなかった。
彼女といえば見た目は大荒れだったが人として自律しようというエネルギーは私よりも圧倒的にあった。だから入院するほどのもめ事が起きた。今はそう思う。(彼女は絵を描くのが趣味だったと聞く。当時の私のまわりには芸術家気質の人が多かった)
私もセラピーを受けて少しずつ自身の感情が戻ってきたためこういうことを思ったということか。
それで感情が戻りつつある今はどうかというと、大変にみじめだ。無力なんてレベルのものじゃない。不安もひどい。今のほうが入院に近い。これを感じたから彼女は大荒れだったのか。
感情・もめごと・エネルギー、さっきのバレエが観れるようになったというのも関係あるのかな。たぶんそうだと思う。こんなの正解なんてどこにも見つからないし。
さらに考える
ポジティブシンキングに対して私が感じていた違和感が整理されてきた。(まったくの個人的な意見です)
それはポジティブシンキングとは後ろめたい気持ちをごまかすためにするものらしいということだ。誰かをひどい目にあわせたり、迷惑をかけたり、粗末に扱ったり。その”誰か”には自分自身も含まれていた。そこが肝だった。
自身のつらい気分をごまかすためのポジティブシンキング。有効だが決して素晴らしいものではなかった。むしろ粗末に扱うことに対する言い訳だった。正しいのかどうかは知らん。
そんなことを考えた。