korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

実体験を整理して言葉にすること

 晴れ。

 

 湿度が高い。

 

 朝から雲がすごい勢いで成長している。

 

 

 

        夢を見た

 (その1)大きな施設の通路にいる。なんだろうと思ってまわりを見る。

 

 競馬場だった。馬券を買う。(実際にはやったことがない)

 

 切符の自動券売機みたいなやつだった。

 

 昔いた会社の社長がいる。この人は競馬が好きだった。(なぜ競馬をやる人はあんなに血統にくわしいのか)

 

 このレースはこの馬をからめて買えば大丈夫とアドバイスされた。いくつか買う。

 

 通路には亡くなった姉もいる。地べたに座って何かやっている。だれか面倒見てくれと思う。父もいるがどこかぼんやりとしている。

 

 壁を登って席に行く。VIP用の席らしい。警備員ににらまれる。私にこの席に来る資格があるのかと不安になる。

 

 コースには馬はおらず。ファンファーレが鳴り響く。みな会場の入り口のほうを見ている。(終わり)

 

 

 (その2)新幹線に乗っている。シンオオサカに向かっている。帰りは多分最終列車になる。でも最終列車に乗って東京まで来てもその後はどうするんだ。(終わり)

 

 

 

        思ったこと

 しつこく昔のことを思い出す。(これはそういう後ろ向きなブログです。今回は暗めの内容)

 

 母の入信している宗教団体はある意味かなりパワフルだった。ものすごい迷惑をかけられたがみな笑っているだけだ。そういうのに一人で対峙しなければならないのは大変だ。いまだに恐怖を感じる。

 

 同じ目的を持った(と本人たちが思っている。実際はバラバラでも)人間の集団というのはものすごい力を持つ。人間の足し算以上の力だ。

 

 それが信仰の力だという人もいるだろう。ただ私はあの中にデーモニッシュな力を感じた。人間の愚かさがものすごくブーストされている。

 

 そういう意味でああいったものには気を付けなければいけない。彼らにわかるように言うならば、その力の出どころはどこなんだい?(そこに注意しろよ) ということだ。手放しで喜ぶのはおかしい、というか幼稚だ。

 

 悪魔がいるというよりも現実世界のああいった現象の中に悪魔を感じた、というほうが正しい。なんかオカルトじみたことを言っているけれども。そういう世界に強制的に放り込まれてしまった。そういう家庭環境。

 

 日本人というのは愚か、というか”いい人”なのかもしれないとも思う。おかしなことを教えなければ他人に危害を加えない。あまり理屈は好まないので複雑な理屈を言われるとどうしていいのかわからなくなる。

 

 「やさしく、うつくしく、おろかなり」、と言ったのはだれだったか。杉浦日向子さんだったか。もともとは岡本綺堂の言葉?

 

 

 なんかものすごく上から目線だな。別に偉そうにしているのでなく、物事を俯瞰的にみるためにそうしているだけだ。ただのそういう技法だ。高慢というのとは少し違う。

 

 

 

 オリンピックの曲を作った人の問題が盛んに報じられている。いじめは論外だけれども。それ以上にデジタルネット社会の怖さを感じる。

 

 デジタル社会では情報は消えることがない。本人の意向なんかお構いなしだ。たとえ本人が悔い改めることがあってもことあるごとにネチネチ言い続けられる。それが結果的にお互いの首をしめることになって大変に息苦しい社会が出来上がっている気がする。

 

 最初から出来上がった大人はいないし失敗をしない人間もいない。案配の問題か。データや機械は案配なんてしない。

 

 いじめはいけないけれど、「いじめはいけない」で他人を殴るのはもっといけない気がする。立派なはずだったもともとの動機が腐ってしまう。

 

 

 そんなことを考えた。

 

 

  

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 子どものころからなぜか人の死に向き合うことが多かった。まずはじめは保育園の同級生だった。遊具から落ちて頭を打って亡くなった。

 

 入院していた病院にお見舞いに行ったが、一目見た瞬間「ああ、これはだめだ」と子どもながらにわかった。その時にとても残酷で非情ななにかを感じた。その子の葬式にも出た。

 

 今思うことはこういう時に大人はフォローしなければいけない。ちゃんと意味のある体験にしてやることが大人の仕事だ。

 

 

 その後も何人かの死に向き合った、というか出会った。なぜかみな若い女性だった。

 

 

 一番印象的というかショックだったのは、姉の死だ。姉は重度の知的障害を持っていて治療の意味が分からないので、チューブだらけにされて拘束されて(チューブを引き抜いてしまうので)、嫌だ嫌だと言いながら亡くなっていった。

 

 普通?の人ならば治療の意味が分かるので我慢するのだが姉はそれができなかった。それで問題が表面に出てきた。ただでさえ苦しいのだからそれ以上苦痛を与えないでくれ、ということだ。

 

 何かできることがあったのではといまだに思う。本当にこたえた。

 

 人間としてこの世界に生きているということは、それだけでものすごい苦しみなのだから、足を引っ張りあったりして苦しみを増やすのはやめよう。そんな風だ。

 

 

 この情報をどう整理したらいいのかいまだによくわからない。そのくらい強烈な体験だった。