korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

考えることはやめられないと思う

 

 曇り。

 

 洗濯と風呂掃除をさっさと済ませる。

 

 ずいぶんと手際が良くなったものだと思う。

 

 

 

       夢を見た

 学校。そしてゾンビもの。いつもの夢。そんな日常は困る。ゾンビと人間の敵。2重のトラブル。校庭で銃撃戦。

 

 私の夢ではよくあることだがいくら銃で撃っても弾が出ない。

 

 マガジンを外して確認してみるとちゃんと弾は入っていた。

 

 仲間に銃ではダメなようなので対物ライフルで攻撃してくれ、と頼む。あれなら効果があるだろう。仲間は了承したが一向に攻撃する気配がない。

 

 攻撃ができないのならゾンビと話し合うしかないのか?

 

 それは不可能だと感じる。(終わり)

 

 

 目が覚める。自分でライフルを準備して打つところまでやらないとダメか。他人頼みでは難しい。

 

 

 

       思ったこと

 通院日。出かける。交通機関は空いている。

 

 

 駅で電車を待つ。電車が来る。車内が見えた。・・・男性の膝に乗っかっている女子がいる。

 

 なんだそれ、と思ったが、どうでもいいや。彼らは駅で降りた。大学生くらいのカップルだった。お幸せにね。

 

 

 最近の車内の広告はインパクトがやたら強くて疲れる。心理学を駆使しているのか。

 

 ほかの皆はたぶんこんなものすぐに慣れて気にしなくなるのだろう。それができない私は何とか情報を処理するために延々と考える。慣れてしまうことで抜け落ちてしまうものや、感じなくなることで無意識に受け取って当たり前になってしまう情報があるようだ。そうなると情報を受け取ったこと自体に気づかなくなりそうで怖い。

 

 

 病院の最寄り駅につく。喫茶店で一休み。以前は紅茶しか飲まなかったが最近はコーヒーばかり。おいしいというのとは違う、コーヒーが合うようになったという感じ。

 

 コーヒーのカップを持ち上げる。その姿勢自体がものすごくリラックスする。コーヒーはコーヒーを飲むこと自体を楽しまなければいけない。食べ物を詰め込むためにガブガブ飲むのはダメだ。食事もコーヒーもまずくなる。以前の私はそんな感じだったが。

 

 昭和の時代のポスターによくあった構図で、タバコを持った手を額に当てるポーズがあった。とてもリラックスしていていいな、と当時子どもながらに思っていた。

 

 あれは瞑想の一種だったのだろうな、と今コーヒーカップを持って思う。もうタバコは無理かもしれないけど。 ー今週のお題「好きなお茶」ー

 

 

 病院に着く。先生と話す。コロナのことに話題が及ぶ。そうか感染者数が減っても病院のキャパは相変わらず超えたままだ。それでは困るのか。

 

 

 こんなご時世なのでさっさと帰る。

 

 

 

 前回までのブログのことを考える。依存とか考えないとかいうけれど、世の中の大部分の人たちはそれを当たり前のことと受け止めて、何の問題もなく生きている(ように見える)

 

 そこからずれている・その構造にとてつもない迷惑をこうむっている自分みたいな人間がそれについて必死に考える。まわりの人間にとって当たり前になっていることを自覚することは大変な困難が伴う。

 

 一生懸命考えることでさらにどんどんずれていく。でも少し賢くなる。ずれていく方向にレベルアップしていく、とでもいうのか。それでもレベルアップや賢くなるのは嬉しい。

 

 だから、考えるのをやめないと思う。ずれは直せないし。