曇り。
今日はわりと涼しい。
短期間で季節が行ったり来たりしている。
夢を見た
朝か? バイクに乗っている。学校からの帰り道。
あたりでは祭りがあるらしく若者たちがどこかに向けてぞろぞろと歩いている。皆楽しそうだ。自分とは無縁だと感じる。
坂をくだり大きな通りに出る。(終わり)
思ったこと
「スピノザ 『無神論者』は宗教を肯定できるか」(上野 修著 NHK出版)
という本を読んでいます。スピノザの「神学・政治論」という本について解説された本。
書かれている内容が自分の状況に似ている気がする。もちろん勝手な思い込み。
この本の舞台は17世紀のオランダ。自由な気風と昔からの保守的な考え方が鋭く対立していた。古くからの宗教の勢力に、思想・発言の自由は危険だ、と迫害されていたなかで、そんなことない、神学と哲学は両立する(というか関係ない)というために書かれたものらしい。
それにしてもこれを書かなければならなかった状況ってどういうことだ。自由に発言することに相当なリスクがあったということか。
今の自分からは考えもできな・・・いや、すごくわかる。ってどういう状況を生きているんだよオレは。これまでのブログでも少し書いたけど。
これは相当苦しい。戦わないと息すらできないくらいの苦しさ。息継ぎするためになんとかして風穴を開けないといけない。
私には細かい内容など難しいことはわからない。大学の一般教養の授業でもスピノザは少し習ったが接点が見つからなかった。
でもわかる気がする。わからないけどわかる。そんな気持ち。昔薪能を観たときにもそんな気持ちになった。
内容について深く考察するとかでなく、おっちゃんあんたのパスを受け取ったでー、くらいの素朴さ。仲間を見つけたような気分。
今あるものは何千年もかけて物理的・精神的なゴタゴタや殴り合いを経てできあがってきたのだ、と思う。便利なので無批判にそのまま使うのもいいけれど、どこかでちゃんと学ばないとおかしなことになる。使い方を誤る。
あの時あの人がこうやった、この時この人がこうやった、だけたくさん集まってもどうしようもない。ちゃんと道筋を考えて勉強しないと。
その道筋も他人がくれたものをそのままではダメだ。・・・それが学んで身につけるということか。学生時代にそんなこと考えもしなかった。いままでなにやっていたんだろう。
嬉しいけど少し凹んだ。そんな気付きだ。