曇り。
やっと涼しくなってきた。
今年は夏からいきなり冬になるパターンだろうか。
夢を見た
大きな通りにいる。自宅に帰ろうと思う。近くにきれいな駅がある。そこに向かう。
本来走っている路線のほかに新しい線も走ることになったという。興味があるので新しい線に乗ってみる。
新しいはずなのに車両はボロボロだ。車両はブルーのラインが入っていて全面ガラス張り。シートはプラスチック製のよう。
乗っている人間も柄が悪い。次の駅で降りることにする。
バスに乗る。バスの中も変人しかいない。あきらめて歩くことにする。いつの間にか夜になっている。(終わり)
思ったこと
目が覚める。久々に変な夢だ。昼間ホラーゲームの動画なんか観るからだよ。ホラーは妄想の度合いが大きいほど怖くなる。だけどそうなると現実世界の手触りや整合性がなくなる。
そんな物語を受け入れてしまってはおかしくなって当然だ。現実世界の手触りがないものを受け入れてしまうとフィードバックが効かず否定することができなくなる。結果そこから抜け出せなくなる。
結論:前提を疑え。秩序は大事。
これまでのブログに少し書きましたが自分はそういう怖さをリアルに感じて育ってきました。本当にひどい世界だったのだな。まわりにはそれを”本当のこと”として生きている人がまだいる。まさにホラーだ。
その部分を刺激されたから怖い夢を観たのか。真剣に怖かった。
(それにしてもジャパニーズホラーは独特だと思う。海外の作品に迎合しないで作り続けてほしい。観るとは言っていない。怖すぎる。そもそも怖いものは苦手だ。でもそのなかに何か大事なものがあるような気もする)
また考える。「反省した」といって全く新しいことを始める人がいるが新しかったら前にやらかしたことの中で具体的に何が悪かったのか・どうすればよかったのか、などが全く反映されていないことも多い。
反省や謝罪が嫌だから違う情報を発信したり違うことを始めて自分や他人をごまかしにいっているという面もありそうだ。そういう人はどんどん違うことに移っていく。まわりはその場に取り残される。問題は残ったままだがもう誰も気にしない。
それは反省というより放棄というのだな。
あれこれたくさん情報を入れて自分で迷子になってしまう人がまわりには多かった。そして自分もそうだった。迷子になっている自覚がないとまわりにいる人間も巻き込んで迷子にしてしまう。そういう質の悪さがあると思う。
そんなことを思った。