晴れだが、雲が多い。
まぶたがむずがゆい。
もう花粉が飛び始めたのだろうか。
父の看病。なぜか思う。これは私の仕事ではない。
もちろん、家族のケアはしなければならないと思うが、これは両親というかあの夫婦のやることだ。
何十年ドロドロになりながらも、やってきている夫婦というものに、子どもとはいえ、他人が手を突っ込むと、痛い目に遭う。身体がしびれて動かなくなった。
(ああいうのを共依存というのだろうか?)
これまでは介護が必要な人間がいて人手が圧倒的に足りなかったので仕方がない部分があったが、その人間が亡くなった今はもういいのではないか?
そんな気がした。うまくは説明できそうもない。
身体のセンサーが働いたとでもいうしかない。"勘"というのか。根源的なレベルでの警告。
基礎がダメならその上にどんなに立派な建物を建ててもうまくいかない、というような。
昔、母の入信していた教団信者が来たときにもそのセンサーが働いた。この人たち親切そうに見えるけれど、とてつもなく悪いことをしている気がする。だがそれがなんなのかを言葉にできない。
そんな感覚。彼らには結果うちの中をめちゃくちゃにされた。
(今思うと、彼らは"親切"ではなくて、"親切そう"に見えること、"立派そう"に聞こえること、に神経を使っていたようにみえる。
失礼な言い方だが、あえて言葉にするとポイント稼ぎのためにやっていたというべきか。トラブルが起きて自分たちの責任になりそうになると、彼らはさっさといなくなってしまった。
それでも実際にある程度は助かっていたのだから、本当に厄介だ)
こうやって書き出してみるとうちの家庭内はかなり問題が錯綜している。問題が絡まりあっているので、なかなか言葉にできない。
お世話になりながらも、大変な迷惑をこうむっている、それが複数ある、というような複雑さ。
他人にお世話になったら、それはいいのではないか? 家族のケアをするのは当たり前だ。などの素朴な常識の外側にいるような気がする。
そういった常識で自分や家庭内がめちゃくちゃになってしまったら、もう、他人になんと言われようと自分で解を探るしかない。
もっと高度な言葉を探す?
そう思った。