晴れ。
今日はいい天気だ。
明日はまた雪らしい。
そういう次回予告はいらない。
今日晴れていれば十分だ。
夢を見た
夜だ。高校時代の同級生とバイクに二人乗りしている。
乗りながらあれこれしゃべる。
自宅に行くには川の手前を左に曲がるのだが彼を駅まで送るので直進する。
ふと思う。自分も駅にバイクを停めて電車で帰ったほうが早いんじゃないか?(終わり)
思ったこと
目が覚める。こんなキラキラした学生時代なんて知らないよ。記憶を整理することで感情がほどけて楽しい思い出になったのか? フィクションまみれのような気もするが思い出としてはそれでいいのかもしれない。そういう財産?
買い出しに行く。出がけに母に何か買うものがないか聞く。あれこれ発言が右往左往した挙句母は言う。
「お父さんの食事を作るのが嫌だ。それだけなんとかなればいい」
おかずを買うことにする。あのプライドが高く、食事は絶対に自分で作らなければ気が済まない母が、あんなことを言うのは大変に珍しい。
電車に乗って郊外の駅で降りて歩く。
やはり遠出をして歩くと気分がいい。道を行く高そうなバイクを見るのも楽しい。ああいうバイクに乗っている彼らは、いったいどんな生活をしているのだろう。想像もつかない。
考える。大人になったら家を出て一人暮らしをするのが自立した大人だという。これまで私もそう思ってきた。では、今の私はなんなのだ。
これまで読んだ本には”共依存”だとか、いろいろな説明する言葉が並んでいた。自分もなんとなくわかった気になっていた。
でも、家庭内で困っていたら家族が何とかするしかないだろう。特にうちみたいに私も含めて病人だらけだったら、そんなことはかなりの贅沢だ。
確かに独り暮らしを始めたら、これまで親にやってもらったことをすべて一人でやらなければならない。プチ一国一城の主だ。それはとても大事だと思う。あと、自由度が飛躍的に上がるだろう。これはうらやましい気がする。
親にやってもらっていたことといえば、掃除・洗濯・買い物など、・・・あれ? 俺小学生のころからやっているよ。不完全だけれども。やっぱりうちではこのモデルは使えないな。
そういえば、自立先進国?のアメリカですら、最近は大人になっても自宅で暮らす若者が増えたという。それは貧困問題として解釈されているらしい。
そんなことを考えながらてくてく歩く。
「自立とか依存とかうるせえんだよ。”助け合っている”、とか”孝行”とか言えよ」
と誰に向かって言うわけでもなく、心の中で毒づいた。