korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

よその国のことを理解した気になる。「The Suicide of Rachel Foster」をプレイしての感想(というか印象)

 まだ日差しはきつい。

 

 身体がほてってうまく眠れなかった。

 

 

 

    夢を見た

 自宅にいる。私は具合が悪いようで床に寝込んでいる。

 

 昔の同級生がいる。あまり親しくない人間。なぜこのチョイスなのか。

 

 台所から母の声がする。・・・そういうことか、母親同士が親しい人間を選んだんだ。

 

 台所からは女子の話し声もする。大学時代の知り合いだ。

 

 同級生からお前の嫁の声かと聞かれる。

 

 そんなわけないだろ。知り合いなのに彼女は誰なんだろうと思う。

 

 うまくしゃべれない。身体も動かしづらい。

 

 くだらない人生だったなあ、と思う。

 

 以前(前世?)なにか悪いことをしていて、そのカルマ(業)を今消費しているのだろう。そう思うことでなんとか納得した。(終わり)

 

 

 

    思ったこと

 目が覚める。また変な夢。

 

 カルマなんて出てきてまるで宗教だ。自分で納得するためにそのアイデアを持ち出す分にはいいが、他人にこれを言われたら腹が立つだろうな。

 

 大きなお世話だ。

 

 他人をコントロールしようとしたり、何かを強制してくるかどうかが宗教とカルトの違いなのかもしれない。

 

 

 

 またゲームをやる。ジャンルはサイコサスペンスとかサイコホラーとかそのあたり。

 

 「The Suicide of Rachel Foster」(Daedalic Entertainment)

 

 猛吹雪のホテルに閉じ込められた主人公がレイチェル・フォスターという女性の死の真相を探るゲーム。 

 

 作者は「シャイニング」という映画を参考にしてこのゲームを作ったそうだ。

 

 「シャイニング」は例のおっさんのポスターしか知らないが、とても怖そう。

 

 

 ゲームの感想、という以前の印象。このゲームは言語に日本語がなかったので間違った理解があるかもしれない。

 

 例によって個人の感想というか妄想だ。

 

 

 舞台はアメリカの片田舎。アメリカという国は猛吹雪もそうだが自然のパワーを感じる。

 

 その前では人間なんてひとたまりもない。厳しい環境。

 

 以前プレイした「マーサ・イズ・デッド」はイタリアが舞台だった。そこでは自然が穏やかでその分人間に陰影があった気がする。

 

 アメリカにはそんな余裕はなさそう。はっきりしてないと生きていけない。

 

 主人公の親もまわりの大人も教会で慈善行為をしている。自分の思い込みかもしれないが、そこにもはっきりしていないとダメだというアメリカ的なものを感じる。

 

 あまりにも正しすぎる。助け合わないと生きていけないということかもしれないが、私は正しい・親切だ、と言い続けなければいけない何かを感じて大変に息苦しい。

 

 正しくなければいけない、ということの中には、自分や他人の欠点や弱さを認めない、ということがあるのではないか。

 

 人間の中の弱さを認めることが罪の自覚なのではないか。その自覚が寛容さを産み出す。

 

 それが許されない環境。罪を犯したら・弱さを見せたらアウトな環境。

 

 それが彼らの非寛容さや、攻撃性や、ポジティブシンキング(をしてなんとかごまかす態度)につながっている気がする。

 

 その厳しさが他者を傷つけることもある。彼らの強さや攻撃性が恐ろしく感じる。

 

 

 そんなことを思った。

 

 ゲームをやってこんなことを考えるなんて特殊かもしれない。

 

 自分のいる環境が特殊なせいかもしれない。これまでさんざん書いた。

 

 

 でも自分にとってはゲームのシナリオ自体よりもこっちのほうがずっと有益な情報だった。

 

 

 

 ゲームの謎解きはネタバレになるから言わないけれども、わりとわかりやすいどんでん返しだった。

 

 

 

 追記:このゲームは日本語には対応していない。それでどうしてもわからないところは辞書を引いて補った。

 

 あまりに面倒で、途中でぶちギレてネットで検索する。

 

 

 

 そうすると、不思議なことにさっきまである程度わかっていた英語が全くわからなくなった。脳の不思議な仕組み。