曇り。今日は涼しい。
だいぶん楽だ。
少し前。買い出しに行ったとき、リサイクルショップで中古のVRゴーグルを見つけた。
安い。定価の3分の1以下だ。旧型機とはいえ安すぎるのでは、と不安になったが購入してみる。
帰宅して開封する。
物を買ったとき一番楽しい瞬間は開封して説明書を読んで設定する場面だ。
まさに新しいもの・ことに触れている。あとは惰性。言い過ぎかもしれないが。
設定も一通り終わり装着してみる。顔や視点になじむまで少し時間がかかった。
そして安さの秘密がわかった気がする。ヤニ臭い。以前の持ち主は喫煙者だったのか。それともどこかの施設で貸し出されていたのかもしれない。
中古品を売るときにたばこ臭いとかなり減額される、と読んだことがある。
ためしにYouTubeのVR動画を観てみる。・・・すごい。360度見まわせる。
秋葉原を歩いている動画を観る。へえ、ここ立ち食い蕎麦屋になったのか、など発見がある。
せっかくゴーグルを手に入れたのに、知らない土地とか新しい体験のほうにいかないのは何故か。そういうの興味ない。知っていること・場所に新しい視点が加わったらどんな風に見えるかに興味がある。
VRの中の秋葉原を歩く。立っているメイド喫茶の店員(本当は歌舞伎町のほうから流れて来た、お酒を出す系の店の店員が多いとのネット情報がある。コロナでお客が来ないのだろうか)、道端で必死にスマホを操作しているオタク風の男性。楽しそうに歩く外国人の集団。
自分が社会派の写真集の中に入ってしまったみたいな気分になる。けっしてリアルではない。やっぱり作り物だ。とてもよくできた作り物。すごい技術だ。
こういうのをダラダラ見るの楽しくて楽でいいな、なんて思ったが、見終わった後ゴーグルを外すとかなりどんよりとした気分になっている。
身体がバラバラになったような。頭の部分にだけ濃いめの情報が入って他の部分の感覚と整合性が取れていないということか。
離人気味の人は自分の身体を外側から眺める瞑想はやらないほうがいいという。それと似たようなもの?
注意しながらやることにする。せっかく気分転換になると思ったのに。けっして無害ではないということか。
現実逃避するなら、現実世界の中で、が安全そうだ。変な言い方だけど。テクノロジーの中へ逃げ込むのは危険らしい。手触りがない。リアルでも現実の代わりには(まだ)ならない。
昨日みたいに川べりを歩くのが無害でよさそう。身体全部で触れる。
そういう発見があった。
新しいテクノロジーに触れること自体はものすごくいい刺激になった。楽しかった。