晴れ。
風が強い。
最近長い本を読んだりや映画を観ることができなくなっている。
ショックだ。こういうことは意図的にやらないといけない。少しづつ慣らしていこうと思う。
夢の中で女性にずっとなじられていた記憶。今の自分ではうまくいかないか。
ぼんやりと思う。もう愛されてもいいんじゃないか。・・・どうした。悪いものでも食ったか。
そうではなくて(疲れているのは認める)、これまで自分に起きたこと・見聞きしたことを本を読むことなどで何とかわかろうとしてきた。特に安部元総理の事件があってからは熱心にやった。
それなりに理解できてきたが、もうボロボロだ。そんなもの放り投げていいのでは。
ボロボロになってまで布教して、まわりとトラブルを起こし孤立して、それでも認められない。(彼らはそういうものだと教え込まれている)
そういうものをたくさん見てきた。自分もそういう環境で育ったのでまわりとうまくいかずに無自覚に迷惑をかけた。そんなのあんまりだ。宗教の問題がどうとか罪に問えそうかどうかなんてどうでもいい。とにかくひどいしあんまりだと思う。
何の甲斐もないものを一生かけてやるようにしこまれる。とにかくそのこと自体がひどい。
信仰がどうとか立証できないからどうとか(彼らの言い訳)そんなことどうでもいい。もっと自分を信じろよ。
そんなことを思ったのは本を読みながらだった。
「偶像の黄昏 反キリスト者」(フリードリヒ・ニーチェ著 原佑訳 ニーチェ全集14 ちくま学芸文庫)
まだ解説を少し読み始めたばかりだ。自分は後ろの解説から読むほう。
彼は頭が良すぎる。厳しすぎる。そういう生き方のせいで普通だったら受けられる恩恵が受けられなくなっているのでは。
そんなことを漠然と思った。これでは確かに発狂してしまう。
こんなことを思ったのは自分がアジアの人間だからか。それともそれなりにいい加減で別におバカさんでもいいや、と思ってしまうからか。つらいのは嫌だし。
つらいのは嫌だとちゃんと思えるのも才能(というか必要な能力)なのかもしれない。
ニーチェを読んで(読みかけて)まさかこんなことを思うとは。
まさか考えない・突き詰めることをやめるせいで受けられる恩恵があるとは思わなかった。
恩恵といっても難しいものではなさそう。ペットと遊ぶとかそういうものだろうか。
今日も短め。