涼しい。
昼間の気温は相変わらず高い。
雨が降らない。
こういうことが続くと食糧事情に深刻なダメージが出そうだがニュースではやらない。
夢を見た
学校にいる。運動会のようだ。校庭に並ぶ。自分の順番を他の生徒同士がくっついて入れないようにしている。困る。
自分は制服を着たままだ。着替えに戻る。教室ではプラモデルを作っているらしい生徒が部品の歪みを取るためにパーツを薬品につけている。
運動会はいいのか? 自分もサボりたいがそれは許されない気がする。(終わり)
思ったこと
目が覚める。サボっても行く場所がない。まだダラダラやっている方がマシか。レールから外れると大変なことになる気がする。今の学校はどうなのだろうか。
久しぶりに読書をしている。根気が続かず少しづつしか読めない。
「科学と仮説」(アンリ・ポアンカレ著 南條郁子訳 筑摩書房)
まだ読んでいる途中。また読んでいる途中で感想を書くのか。それで済んだ気になって辞めることも多い。
内容はさっぱりわからない。でも発見はあった。はじめに言っておくと私は算数すらよくわからない人間。そういう人がいう感想。
わからないなりにわかったことを言うと、
数学はその世界内部だけで矛盾がなく成り立てばそれでいいらしい。だから現実の世界に存在しないものも平気で出てくる。
そして定理などの背後には暗黙の了解というものが大量にある。
などだ。それで自分の学生時代の勉強のつまづきが少しわかった。
数学を現実世界に置き換えようとする考え方ではうまくいかない。無意識にそうしていた。だからうまくいかなかった。後になればなるほどそうだ。
それに暗黙の了解ってやつだ。これに算数レベルから引っかかっていた。
何でりんごとバナナを足せるんだよ。どうやってもりんご一つとバナナ一本のままだろ。という落語のような疑問。
これは種類の違うものでも足せることにする。という暗黙の了解が前提にあった。
それにりんご同士だって同じものは一つとして現実世界には存在しない。ただユニークな一個のリンゴがあるだけだ。それを同じものとして扱って一個二個と数えられることにする、という了解。
そこに引っかかっていたようだ。こういうものがこの後も大量に出てきてそれらは説明されることは決してなかった。自分はそれらに気づかないまま引っかかっていたよう。
本の内容に比べたら低次元の話なのかもしれないけれど。
私は面倒くさいな。今なら学習障害とか言われていただろうか。でもやっとスッキリしたよ。やっぱり数学は向かないな。
面白いのはこういう話(自分に比べたらもっと高度な話だけど)を偉い先生がネチネチと考えていたことだ。
そんなことを思った。できればこういう気づきを10代のうちにしておきたかった。実際の10代はそれどころじゃなかったけど。